ウガンダ滞在記
野間裕加
私は、2008年から2年間、青年海外協力隊として、東アフリカのウガンダ共和国に滞在していました。今回はこの場をお借りして、ウガンダの紹介をさせて頂きます。最初に「滞在中に特に驚いたこと6選」、次に「ウガンダ食6選」について、3回に分けて紹介致します。少しでもウガンダに興味を持っていただけると幸いです。
1 滞在中に特に驚いたこと6選
1-1 小学校まで徒歩数時間
村民の多くの子供たちは、自宅から10キロ以上離れた小学校に通っていました。電車はもちろんのこと、バスや自転車はなく徒歩で通学していました。私は、制服を着た学生たちが、まだ外が暗い早朝の時間から、私の家の前を通って学校に向かって登校していた姿をよく目にしていました。子供たちは、裸足で赤土の道をただひたすらに歩いていました。役人の子供のような比較的裕福な子供たちは、全寮制の学校に通っていました。長期休みになると実家に戻り、水汲み、食事の準備、牛の世話等の親の仕事を手伝っていました。
余談ですが、村を歩いていると沢山の子供に出くわします。村では女性は10代で結婚し子供を2~13人くらい産むことが一般的でした。当時、20代の独身女性の私はとても不思議な存在だったようで、いつも「俺の第3~5夫人にしてあげるよ。」と言われていました。
1-2 女性は牛4~10頭と引き換えに男性に嫁ぐ
結婚する際、男性は女性の両親に牛を贈り、女性が男性の家族の一員となります。何頭贈るかは、男性の経済力により異なりました。私の村では、牛4~10頭が一般的でした。村民にとって牛は最も重要な財産です。牛は、牛耕などの農作業をするために欠かせません。その他にも搾乳したり、牛糞を燃料にしたり、牛糞を泥と混ぜてれんがを作り、家の土台にしていました。村では離婚をした女性と出会ったことはありませんでしたが、仮に離婚となれば牛を男性に返却する必要があるそうです。
1-3 エイズが萬栄
ウガンダは一夫多妻制で、私が住んでいた村では2~5人の妻がいる男性が一般的でした。そのためか、男性が複数の女性と関係を持ち、エイズを家庭に持ち込むことが社会問題となっていました。
初めて知り合いをエイズで亡くしたときは、私はとても衝撃を受けました。近所のマーケットで商売を切り盛りしていた女性がその知り合いです。とてもふくよかで身なりに気を遣う凛とした女性でした。しかし、亡くなる直前はやせ細り目に生気がなく、家族に支えられかろうじて体を動かすことができる状態でした。短期間で人を死に追いやるエイズの怖さを実感しました。それと共に、従順な女性がエイズの被害者となる理不尽な現実を目の当たりにしました。
今回はこれで失礼します。次回は「滞在中に特に驚いたこと6選」後半についてご紹介致します。お読み頂きありがとうございました。