弁護士 藤原 精吾(ノーモア・ヒバクシャ訴訟 全国弁護団 団長)
✦ノーモア・ヒバクシャ訴訟についての報告①✦
「今なお続く被爆者の苦しみとノーモア・ヒバクシャ訴訟
―世界の放射線被害者の声で核兵器廃絶を」
1,私は広島・長崎の被爆者が今もたたかい続けている、「ノーモア・ヒバクシャ訴訟」の弁護団を代表して、訴訟とその意義について報告をいたします。
2,核兵器禁止条約は、被爆者が訴え続けた被曝の実相、地獄の体験があったから実現しました。1963年の原爆訴訟東京判決は被爆者の損害賠償請求こそ退けましたが、原子爆弾投下は国際人道法違反であると断言しました。この判決が1996年の国際司法裁判所(ICJ)の勧告的意見、「国連憲章2条4項に反し、 国連憲章51条の要件を充たさない核兵器の使用は違法である。」につながり、今回の核兵器禁止条約につながりました。
ノーモア・ヒバクシャ訴訟の原告たちは、地球上から核兵器をなくそうという皆さん方の大きな運動に、体を張って参加しています。
3,被爆の日から74年、平均年齢82歳を超す被爆者が今なお裁判を続けているのは何故でしょうか。1945年、原爆投下の年末までに、広島で14万人、長崎で9万人の人が死んだといいます。2016年には広島約30万人、長崎約17万人が原爆死没者慰霊碑に名を刻まれています。
4,被爆は遠い日の思い出ではありません。また原子爆弾投下の一瞬で終わったのではありません。1945年8月6日、8月9日から今日までの74年間、「被爆者」としての人生を強いられたのです。それはまだ終わっていません。
被曝により無残な死を遂げた親兄弟の記憶と共に自らの被曝による発病を恐れる日々、就職や結婚の差別をおそれ、子どもに被曝の影響が出ることを心配する年月が続いています。
5,この集団訴訟は2006年5月の大阪地裁判決を皮切りに、これまでに全国で40件の原爆症認定を命じる判決を獲得しました。
6,裁判を通じて実現したことがあります。
被爆者が法廷で被爆の現実と実体験を語り、裁判官は勿論、多くの人びとがこれを聞くことが出来ました。そして、国との論争で明らかになったことがいくつもあります。
① 放射線被爆の影響は一生続く、それどころか死後も続くこと。
(長崎の研究室に保存された被爆者の内臓から、70年経った今もアルファ線が出ていることが確認されています。)
② 被曝により起こる病気には;
白血病はじめ種々のガン(胃、大腸、肺、肝臓、腎臓、食道、前立腺、乳房、皮膚など)心筋梗塞、甲状腺機能低下症、白内障、脳梗塞、などがあることが判決で確認されています。
③ 被曝の影響は、広島・長崎での被爆者集団を対象とした疫学調査により確認されるが、それは今なお調査研究の途上にあること。
従って、放射線被曝の人体への影響で分かっているのはまだ5%にすぎない(放影研大久保前理事長)こと。
④ 皮膚被曝線量は爆心地からの距離に必ずしも比例しないこと。
このことは、フクシマ原発から飛び散った放射性物質の線量が同心円ではなく、ホットスポットとして、特定地域で高線量を示すことで実証されています。
更に、直接被曝しなかった人が、家族を探して爆心地に入市し、残留放射線に被曝する、「残留放射線被曝」が重要です。
また放射線を浴びた食料を食べ、水を飲んで身体の内部から常時放射線を浴び続ける、「内部被曝」を忘れてはなりません。
⑤ 援護対象の限定
現在の被爆者援護法は、当初より原爆被害の内、熱線、爆風による被害をを補償の対象とせず、放射線による健康被害だけに限定している その理由は、原爆以外の戦争犠牲者に対して国家補償が広がることを避けるためでした。
7,政府は相次ぐ国の敗訴に、2009年8月6日、当時の麻生太郎総理大臣と被団協、被爆者が「原爆症認定集団訴訟の終結に関する確認書」に調印しました。この「8.6合意書」において政府は、これまでの原爆症認定行政の誤りを謝罪し、今後裁判を起こさなくても済むように改めることを約束しました。
8,しかし、この日以後、多くの被爆者に対して、この合意は十分守られませんでした。厚生労働大臣は、2013年12月16日「新しい審査の方針・新基準」を定め、非がん疾患では直爆2キロ、入市1キロ以内などの枠を設け、これを機械的に適用して又もや原爆症認定請求を却下し続け始めました。厚生労働省は被爆者に、裁判をする勇気がなければ泣き寝入りしろ、と迫ったのです。
~②に続く~