弁護士 藤原 精吾
2015年8月8日、長崎平和大会において、「ノーモア・ヒバクシャ訴訟の報告と提起」を行いました。
1, 私はノーモア・ヒバクシャ訴訟全国弁護団連絡会の代表として、訴訟の報告をいたします。
2, 地球上から核兵器をなくそうという皆さん方の大きな運動にノーモア・ヒバクシャ訴訟の原告たちは現在体を張って参加しています。
3, 被爆の日から70年、平均年齢80を超す被爆者が何故今なお裁判を続けているのでしょうか。
4, 被爆は遠い日の思い出ではありません。また原子爆弾投下の一瞬で終わったのではありません。1945年8月6日、8月9日から今日までの70年間、被爆者としての人生が続いているのです。それはまだ終わっていません。
5, アメリカによる原子爆弾の投下は、大量破壊兵器による市民に対する無差別の殺害行為であり、国際人道法に違反した行為です。本来それは戦争犯罪として裁かれねばならないのに、日本政府はアメリカに対する損害賠償請求権を放棄してしまいました。日本国は、無謀な戦争を開始した責任と原爆の投下までポツダム宣言の受諾を引き延ばしたこと、加えてアメリカに対する請求権を放棄したことのすべてにおいて、被爆者に責任を負っています。裁判所の判決ではこれを「被爆者に対する国家補償的責任」と断言しました。
6, 被爆者から、いのち、くらし、健康のすべてを奪った原爆の投下から12年の空白の後、1957年4月「原爆医療法」が制定されました。その後の被爆者の粘り強い運動により、順次対象者の範囲と給付内容を改善して、1994年12月に現在の「被爆者援護法」が成立しました。しかし、被爆者援護法により原爆症と認定される人は被爆者手帳所持者のわずか1パーセントにも満たず、認定は狭き門とされました。長崎の松谷英子さんは1988年原爆症認定を求めて裁判を起こし、2000年7月、最高裁で松谷さんの勝訴が確定し、認定行政の誤りが確認されました。
7, ところが国は、2001年5月になって、松谷さんのケースすら認定できない認定基準を設け、これを「審査の方針」としました。判決に逆らい、被爆者の願い、世論に反する基準で被爆について国の責任を又もや狭めようとしたのです。被爆者と被団協はこれを許すことはできないと、全国で立ち上がり、2003年4月から各地の裁判所で合計306名の被爆者が原告となり、原爆症認定却下処分の取り消しを求める裁判を起こしました。これを原爆症認定集団訴訟と云います。
8, この集団訴訟は2006年5月の大阪地裁判決を皮切りに、全国で連戦連勝し、ついに2009年8月6日、当時の麻生太郎総理大臣と被団協、被爆者が「原爆症認定集団訴訟の終結に関する確認書」に調印しました。
「8.6合意書」において政府は、
① 原爆症をめぐり国は被爆者との争いをやめ、控訴を取り下げる。国は被爆者に対する責任を認め、判決で認定されなかった被爆者についても、基金による補償を行う。
② 厚労大臣と被団協・原告団・弁護団は定期協議の場を設け、今後、訴訟の場で争う必要のないよう、定期協議の場を通じて解決を図る。
と約束しました。
9, しかし、この合意は守られませんでした。 定期協議は進展せず、行政は裁判所の判断基準を無視した原爆症認定却下を多発し、これを「司法と行政の乖離(隔たり)」と開き直り、更に厚生労働大臣は、2013年12月16日「新しい審査の方針・新基準」を定め、非がん疾患では直爆2キロ、入市1キロ以内などの枠を設け、これを機械的に適用して原爆症認定請求を却下し続けました。厚生労働省は被爆者に、裁判をする勇気がなければ泣き寝入りしろ、と迫ったのです。
10,泣き寝入りできない被爆者は、集団訴訟が終わったあと、病気と高齢をおして、全国7地裁(東京、名古屋、大阪、広島、岡山、熊本、長崎)、に118人が裁判に立ち上がりました。今日現在、控訴審2高裁(大阪、福岡で16名を含め)、と5地裁で88人の被爆者が裁判をたたかっています。
ノーモア・ヒバクシャ訴訟のネーミングは集団訴訟は終わった、ことにしたからです。
11,厚労省は、
① 新基準からわずかでも外れると却下します。この約1年間、非がん疾患の認定率は43.54%です。全体で848人の被爆者が却下処分を受けています。
② 訴訟では、国の代理人は、被爆者に、70年前、どこで何Gyの放射線を浴びたのか、明らかにしない限り原爆症認定はしないといいます。
③ しかし、ノーモア・ヒバクシャ訴訟提起後、この1年半に6件の判決がありました。いずれも却下処分が取り消され、被爆者が勝訴しています。大阪地裁3件、熊本地裁、岡山地裁、広島地裁の判決です。広島では厚労大臣が却下した白内障の2名を認定しています。
④ すでに出された判決では、新基準による多くの却下処分を取り消し、厚生労働省の「新基準」が誤っていることを示しているのです。
⑤ ところが厚生労働省は、今や地裁判決で負けても、控訴して争いを続けます。大阪地裁で勝訴した武田さんは、喜びもつかの間、控訴され、失意落胆と共に亡くなりました。大阪高裁では遺族がその無念を引き継いでいます。
⑥ 先日、大阪高裁裁判長は、「個別判決をしていたのでは間に合わないのではありませんか」と発言しました。
70年の時の壁を隔て、0歳で、5歳で被爆した者に、被爆線量を云え、とは無茶な言いがかりです。
今年秋、10月29日には東京地裁と大阪高裁の判決が同時に言い渡されます。勝訴を確信しています。しかし、裁判だけではことの決着はつきません。
12,解決の方向性と展望です。
① 援護法の改正をし、個別認定をやめること、が当面の目標です。
② 2013年の新基準を撤回すること。 司法の判断基準を尊重した行政に改めることです。
③ これを達成するため、どのような運動を展開するか
裁判の手を緩めず、行政の誤りを指摘し続ける。
世論と政治の力で、国が被爆者に対する国家補償の責任を果たすことを求める。被爆者援護法が認定の対象を放射線に起因する疾病に限っていること自体不当です。放射線に絞ったのは、他の戦災被災者の補償要求を封じるためでした。
誤った行政は政治理念と世論によってコントロールされねばなりません。
被爆者の願いは、原爆被害が二度とあってはならないことを、自分をさらけ出すことによって世界に訴えることです。
世界人類の願いである核廃絶には、被爆者の声がどうしても必要です。
広島・長崎を訪れ、被爆の体験を知り、その声に耳を傾けることは核兵器廃絶の一歩なのです。
終わりに、ローマ法王の言葉を引用して、結びとします。
「私たちは断片的に第三次大戦の中にある」、「広島と長崎から、人類は何も学んでいない。」
ノーモア・ヒバクシャ訴訟は、世界に向けてこのことを発信して行きます。ともにたたかいましょう。
以上